芸術家の本棚をのぞいてみたい、と思ったことはないでしょうか。学部生時代に、印象派研究の重鎮セオドア・レフが1960年に執筆した論文 "Reproductions and Books in Cezanne Studio" を読んでとてもワクワクしたのを覚えています。芸術家がどのような画集を参照にしていたのかという情報が非常に美術史研究に有用に思えただけでなく、アトリエという小さな宇宙の住人の、密やかな息遣いまでも聞こえてきそうな気がしたからです。
さて、私がちょうどフランスに留学し始めた頃(2010年)には、各方面で書架研究が盛んに行われていました。2010年にはダリオ・ガンボーニらの編纂で『芸術家の書架 20世紀〜21世紀』が出版されています。また偶然にも修士論文の指導を引き受けてくださったセゴレーヌ・ルメン先生は、その頃印象派の画家クロード・モネの本棚のご研究を精力的に進めていた頃でした。
今回インターネットで閲覧できる芸術家の書架研究プロジェクトとして紹介したいのは、ルメン先生を中心に展開されている共同研究『芸術家の蔵書』プロジェクトです。このプロジェクトは、固定メンバーで一つの成果を出すタイプの共同研究ではなく、様々な協力者の研究成果を紹介しつつ情報を交換・更新していく一つの結節点を作るタイプのものです。
調査に非常に役立つのは、個々の芸術家の蔵書を所蔵しているアーカイヴのリストです。フランシス・ベーコンやアンドレ・マッソン、アントワーヌ・ブールデル、ギュスターヴ・モロー、ジャコメッティ、ブランクーシ、デュビュッフェなど、現在の時点(2019年)で38件が登録されています。芸術家のみならず、映画監督のセルゲイ・エイゼンシュテインや小説家のウィンダム・ルイス、レトリスムで知られるイジドール・イズーのアーカイヴも紹介されています。そのうちのいくつかについてはすでに書籍として出版されており(例えばマッソンは2011年に出版されています)、こうした書誌情報についてもそれぞれの項目に記されています。
また、「書架研究」の成果やそれに役立ちそうな理論的著述については、文献一覧で示されています。
ただ、このサイトを見ても分かるとおり、またルメン先生も2016年の論考の中でまとめていらっしゃいますが、このプロジェクトはまだまだこれから発達していくものであり、本棚の蔵書リストから得られた情報を作家研究に繋げるのが将来の目標になっていくと思われます。実際、このプロジェクトと関連した研究をまとめた、セドリック・ルセックの著書『芸術家のアトリエ』が2017年に出版されています。
このように、まさに現在、各方面での研究成果への展開が進んでいるところだと言えますが、逆に言えば、同じような手法で研究をしたいと考えている場合には、少し急いだ方が良い、ということかもしれません。20世紀美術に関して言えば、ポンピドゥー・センターには多くの芸術家の寄贈コレクションがあり、事前に申請すれば閲覧可能です。また検索システムcalamesでも、書簡などとともに寄贈された芸術家のコレクションを調べることができます。
文学者の書斎研究プロジェクトとしては、例えばアンドレ・ブルトン研究サイトが非常に充実しています。その中で紹介されているブルトンの書斎研究プロジェクトは2003年に始められたもので、本の表紙(ブルトンの書き込みがあって生々しい)と書誌情報をインターネットで閲覧することができます。そのほかにも、個別の作家研究サイトでは、アーカイヴ一覧を掲載してくれているものもあり、調査に大変役立ちます(ex. ジャン・コクトー)。なお、calamesやSUDOCなどで検索すると、Bibliothèque Jacques DoucetやIMECといった公共研究施設に所蔵されている作家アーカイヴの内容をある程度知ることができます。
※ もしまだ紹介すべきアーカイヴをご存知の方は、ご一報ください。
Comments