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美術史のレポートの書き方⑥ モチーフの象徴性について知りたいときは?

更新日:1月28日

 作品を見ていて、このモチーフの意味はなんだろう、と、思う時があるのではないでしょうか。なぜかある作品の細部に目がとまり、気になって仕方がなくなる、そのような体験です。

 作品のモチーフの意味を知る方法について、著名な絵画作品を例に紹介する入門書は数多くあります。


  • 若桑みどり『絵画を読む イコノロジー入門』ちくま学芸文庫、2022年

  • 宮下規久朗『モチーフで読む美術史』ちくま文庫、2013年

  • 岡田温司監修『聖書と神話の象徴図鑑』ナツメ社、2011年

  • 諸川春樹『西洋美術の主題物語』(I 聖書編 II 神話編)美術出版社、1997年


  

 しかし、自分が知りたい作品がこれらの本で紹介されていない場合もあるでしょう(そちらの場合の方が多いのでは)。もちろん、自分が問題として扱いたい図像が、これらの本で紹介されているものと類似していれば、そこで紹介されている解釈から類推し、作品の解釈を導き出すことができます。しかしそこに類似例がなく、手がかりが得られない場合には、どうすれば良いでしょう。




 実は、面倒なようでいて一番確実な方法は、その作品についての学術的な解説や研究論文を探すことです。美術館の所蔵品を紹介するサイトに行くと、その作品についての先行研究リストを見ることができる場合があります。また美術館の公式サイトにおける作品紹介の中には、そうした研究史を要約してくれているものもあります。JSTORなどの人文学系論文を閲覧できるインターネットのサイトで、アルファベット表記のタイトルで検索してみると、論文が見つかるかもしれません。このときは、例えばイタリアの作品なら、論文の中でイタリア語のまま言及されている場合と、英訳されて言及されている場合と、両方あります。作者名とともに、作品タイトルの原語表記と英語表記の両方で検索してみましょう。その作品が出品されている過去の展覧会カタログを探してみるのも一つの手です。もしも詳しい解説がカタログに記載されていなくても、その作品についての先行研究の書誌情報が記載されていれば、そこから自分が求めている説明・解釈が書かれた論文に出会うことができるかもしれません。

 別の方向からの調査方法もあります。個々のモチーフの意味は、作品の主題から明らかであるものがあります。例えば百合は、聖母マリアの純潔の象徴です。こうした記号と内容の対応関係は、文化的な慣習として定められ、世代を超えて継承されるものもあるために、美術史という学問ができるはるか前から、そうした情報をまとめた辞書・事典の類が存在していました。16世紀のイタリア・ルネッサンスの知識人ヴィンチェンツォ・カルターリは、ギリシア・ローマ神話の古代の神々の図像についての貴重な著述『古人たちの神々の姿について』を残しています。17世紀にはイエズス会士ピニョリアの増補を加えた書物も出ています。ありがたいことに、これらの本は下記の通り邦訳されています。

  • ヴィンツェンツォ・カルターリ『西欧古代神話図像大鑑』大橋喜之訳、八坂書房、2012年

  • ヴィンチェンツォ・カルターリ、ロレンツォ・ピニョリア『西欧古代神話図像大鑑 続編 東洋・新世界編』大橋喜之訳、八坂書房、2014年


他にも芸術家や研究者により古くから参照されてきたのが、16世紀末のチェーザレ・リーパの『イコノロジーア』です。バロック時代には、このようなエンブレム集が多く出版されました。当時の人々の思想がどのようにイメージ化されていたのかを知るうえでも非常に興味深い資料です。下記の通り、1603年ローマ版の全訳が出版されています。

  • チェーザレ・リーパ『イコノロジーア』伊藤博明訳、ありな書房、2017年


 現代ではどのような辞書・事典が存在するのでしょうか。その数は限りありませんので、ここでは翻訳されたもの、日本の研究者が執筆したものから紹介します。


  • スザンナ・イヴァニッチ『カトリック表象大全』金沢百枝監修、岩井木綿子訳、東京書籍、2023年

  • ジェームズ・ホール『西洋美術解読事典 絵画・彫刻における主題と象徴』高階秀爾監訳、河出書房新社、2021年(新装版)

  • ジャン=クロード・ベルフィオール『ラルース ギリシア・ローマ神話大事典』金光仁三郎ほか訳、大修館書店、2020年

  • ハンス・ビーダーマン『図説 世界シンボル事典』藤代幸一訳、八坂書店、2015年

  • ヒルデガルド・クレッチマー『美術シンボル事典』新井裕ほか訳、大修館書店、2013年

  • ゲルト・ハインツ=モーア『西洋シンボル事典 キリスト教美術の記号とイメージ』八坂書房、2003年

  • ジーン・C・クーパー『世界シンボル事典』岩崎宗治・鈴木繁夫訳、三省堂、1992年

  • 水之江有一『図像学事典 リーパとその系譜』岩波美術社、1991年

  • バーバラ・ウォーカー『神話・伝承事典 失われた女神たちの復権』大修館、山下主一郎ほか訳、1988年

  • アド・ド・フリース『イメージ・シンボル事典』山下主一郎監訳、大修館書店、1984年

  • C .R. モーリ、G. ファーガソン『キリスト教図像辞典』中森義宗訳、近藤出版社、1979年


 日本語になっていない本もたくさんあります。私自身は、次の本を手元に置いています。

  • Guy de Tervarent, Attributs et Symboles dans l’art profane. Dictionnaire d’un langage perdu (1450-1600), Genève, Droz, 1997


 前述した、特定の作品についての論文や解説文は、すでにこうした辞書や事典で紹介されているような、文化的慣習により定められた象徴体系の歴史を踏まえて書かれています。そうした慣習に関与していない、極めて特殊な象徴性、あるいは作者個人がモチーフに込めた象徴性を解き明かす個別研究もあるでしょう。それでも私たちが個別研究だけでなく、辞書・事典類を参照することの利点は、あるモチーフが特定の作品において持つ意味だけでなく、他の作品においてどのような異なる意味を持ち得るのかも学ぶことができることにあります。特定の作品についての個別研究とあわせて参照することで、芸術史の理解の幅がぐっと広がることになります。情報として信頼でき、また使い勝手の良い辞書・事典を見つけると、作品解釈の心強い味方になります。

 さて、個別研究でも事典・辞書でも、気になるモチーフの意味が明らかにされていない場合は、どうすれば良いのでしょう。もしかするとそれは、これまで注目されていなかった重要な発見かもしれません。確かに場合によっては、そのモチーフにまったく図像学的な意味がないこともあります。作り手が単に美しいと思ったから、あるいは描かれている場面の現実感を高めると思ったから描いたのかもしれませんね。しかし描かれたモチーフに、何か直感的に引っかかる点があるならば、まずはなぜそれが意識にとまったのか考え、言語化してみましょう。見る者の意識が向くよう、またその意味を考えさせるように画家が意図し、工夫していることが、もしかすると作品そのものから読み取れるかもしれません。その場合には、これまで行われてきたイコノロジー研究の手法を参考にしながら(美術史のレポートの書き方③も参照のこと)、その意味について考察することで、その謎を解き明かしてみることで、学術的な貢献ができるかもしれません。

 最後に一つ。モチーフの図像学について独自の見解を提案しようとしている過程で、単なるこじつけではないのかと不安になることもあるかもしれません。また気になったモチーフには、特に意味がなかった、という結論に至り、落ち込むこともあるかもしれません。しかし調べたこと、考えたこと自体は、とても貴重な学びになっているはずです。

 果たしてそこに意味はあるのか、ないのかと問う中で、次のような別の問いが出てきたはずです。誰が、何がその意味を確定するのか?意味を確定することで何か起こるのか?作品に表現された特定のモチーフに意味がある/ない、ということ、そうしたイメージが意味を獲得する/失う、ということは、そもそも何を「意味」するのか?そうした問いに取り組むこともまた、スリルに溢れており、それ自体研究の一つのテーマになりえます。次の2冊の本は、そうした美術史家の思索の冒険を私たちと共有させてくれるものです。

  • ダニエル・アラス『なにも見ていない 名画をめぐる六つの冒険』宮下志朗訳、白水社、2002年

  • ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『ニンファ・モデルナ 包まれて落ちたものについて』森元庸介訳、平凡社、2013年



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